江戸時代に「見沼田んぼ」として開発された、広大な農地に魅せられて。~風の谷農場 三宅将喜さん~

2017.06.16インタビュー食べる

「都心部から電車で一本」という利便性の高い場所でありながら、1,200ヘクタール以上の農地が拡がる「美園」エリア。この地に魅せられ、移り住み、農業を始めた「風の谷農場」の三宅将喜さんにお話を伺いました。

Q:三宅さんが、農業を志した「きっかけ」について教えてください。

出身は北区の赤羽で、実家が自営業だったんです。だから、漠然と将来は自分も事業をやりたいという思いがありました。会社勤めを経て、20代後半に一度、アジアをバックパッカーとして回ったんですが、田舎の方にいったとき、子どもたちがとにかく元気で。家族で畑を耕したり「自然と一緒の暮らし」がそこにあって、憧れを抱くようになりました。だから、帰国したらそういう仕事がしたいなと。その一つが農業だったんです。

Q:なぜ「美園」で農業を始めようと思ったのですか?

30代の前半に就農を志しまして、所沢で研修を受けました。その後いきなり農家になれるか心配だったので、まず1反300坪を借りてみようと自宅から通えるところで探したのです。すると、練馬の農家から「見沼田んぼ」のことを教えていただいて。来てみたら驚きました。江戸時代の新田開発でつくられた「見沼田んぼ」は、現在も農地として保護されており、街からすぐのところなのに、広大な農地が広がっているんです。もうここに決めた、と。でも、やってみたらあっという間で、目の前のことをこなしていくだけで月日が経っていきます。今年で11年目ですが、とにかく無我夢中の日々でした。

Q:三宅さんは、植物がもともとそこに生えている状態と同じ「自然栽培」にこだわっていらっしゃるとか。

そうですね。農薬をやらず、肥料も与えません。試行錯誤を繰り返して、土の力、太陽、空気、土の中の微生物、水などで育てています。「人間が肥料を与えなくても植物は育っていく」ということを前提に環境を作っているんです。同じところでずっと作っていると作れなくなるケースもありますが、回復するまで置いておいたり、わざと雑草を生やしたりもしています。雑草が生えると根に微生物が増えますから、それを刈って枯らしたら混ぜる、というのを繰り返して回復を促しています。「見沼田んぼ」は街なかより冬が寒く、気温にして3度は低いとか。冷気がたまりやすい上に、秩父連山の冷たい風の通り道になっています。寒いと野菜の甘みが増すので、栽培に適しているようです。

Q:どのような野菜を作っているんですか?

少量多品目で年間60種類くらいの野菜を作っています。夏ならトマト、キュウリ、ナス、冬なら白菜、ほうれん草、大根とかですね。今作っているのはネギ、ニンジン、ズッキーニ、春大根、なす、インゲン、ごぼうなどでしょうか。栽培した季節の野菜を詰め合わせまして、会員の方に販売しています。例えば、直径が10cmくらいある「大浦ごぼう」は、元々は千葉県の大浦地区のものですが、この「見沼田んぼ」は保水力があり栽培に適しています。つまり、土地に合っているんですね。立派で味が良いものができるので、力を入れています。

Q:美園は、農業を志した三宅さんにとって、運命の地だったんですね。最後にメッセージをお願いします。

私は都市部で育ったので「自然の豊かさだけでなく、街の便利さがある」ということが、移住するにあたっては大きかったです。この辺は一本で都心に出られるのに、お米を作りたければできる環境だし、新鮮な野菜を買いたければ直売所もある。「美園」は良い意味で田舎と都会のはざまなんです。新しく移り住んだ方と古くから住まわれる方が、自然に交流して、常に助け合う気持ちがある。何かをしたらお返しをする「おたがいさま」が残っています。それが大きな特徴ではないでしょうか。息子の学校でも学年を超えた知り合いがたくさんいまして、なぜか親の出番もすごく多いんですよ(笑)。

美園人編集部
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