【第2回】浦和美園の郷土探訪(浦和東部第二地区)
美園地区の「みそのウイングシテイ」は2000(平成12)年に開発が開始され、計画では2025(令和7)年が完了となっています。平成と言う時代の大規模開発でした。全てが新しいものに変わってしまったのでしょうか。時代を2つさかのぼった昭和以前のものがこの街にどれだけ残っているのかを実際に街を歩いて調べてみました。今回は、開発地区ごとに全3回に分けた第2回をご紹介します。
第2回目は「浦和東部第二地区」
「浦和東部第二地区」は、イオンモール、埼玉スタジアムやカインズホームがある一番広い開発地区です。
南の方から行くと緑区美園6丁目にあるほしあい眼科は流鉄流山線の電車の運転席、JR西日本のEF6645機関車運転席、JR貨物EF8110機関車が屋外展示され、駐車場出入口には踏切にある遮断機が三か所あります。一車両全体があるのは羽幌炭鉱鉄道のキハ223で待合室になっています。鉄道オタクでもここまで真似出来る人はなかなかいないでしょう。
参考までに、そこから南へ車で5分程行くとグランシャリオと言うイタリアンのお店は寝台特急北斗星の食堂車の中で食事出来ます。
浦和美園駅を過ぎて北に向かうと・・・
美園駅前交番の脇をスタジアムに向かって最初の陸橋をくぐると公園があり、そばに緑区美園3丁目の個人宅一角の前に玄蕃新田庚申塔が整備よく設置されています。文政11年(1828年)4月に建立されているとありました。
そこから北側に行くと同じ美園3丁目の玄蕃新田自治会館の横に木傘神社が新しい社殿になっていますが、そこに結構朽ちている庚申塔があり年代は不明でした。唐獅子は昭和8年(1933年)の石造物でした。
埼玉スタジアムを越えて進むと見えてきたのは。
埼玉スタジアム北側の緑区美園1丁目には高畑稲荷社が高畑自治会館の横に新社殿になっていました。小さな祠本体は古いのですが、基礎部分は新しく、以前あったものを多分移築されたものと思われます。
隣接している高畑共同墓地は小さいながらもいくつかの新旧の石仏が見られます。
今回は「浦和東部第一地区」を歩いてみましたが、第1回から時間が経過していることもあり、街には様ざまな変化も見受けられました。
次回はいよいよ最終回「浦和東部第二地区」を散策し、街に残る歴史をお伝えします。