サポーターVOICE

【第1回】浦和美園の郷土探訪

2019.07.05サポーターVOICEおでかけ

「みそのウイングシテイ」は2000(平成12)年に開発が開始され、計画では2025(令和7)年が完了となっています。平成と言う時代の大規模開発でした。全てが新しいものに変わってしまったのでしょうか。時代を2つさかのぼった昭和以前のものがこの街にどれだけ残っているのかを実際に街を歩いて調べてみました。今回は、開発地区ごとに3回に分けてご紹介します。

第1回目は「岩槻南部新岩西地区」

「岩槻南部新岩西地区」は、綾瀬川の東側に位置し、南北に伸びている地形が特徴です。そしてその中心部には「ウニクス浦和美園」があります。南側には古い民家が点在していますが、それ以外は歩けど歩けどなかなか昭和以前のものは見当たらず…。
しかし、そのまま根気よく歩みを進めていくと、ようやく目の前に歴史的な遺構を発見しました!

「稲荷大明神」の赤い鳥居と、のぼり旗を支える石柱

岩槻区美園東3丁目にある「尾ヶ崎新田自治会館」脇には、「稲荷大明神」の扁額(へんがく)がかかった赤い鳥居が立っており、さらにその前にはのぼり旗を支える石柱が。そこには明治39年と刻まれていました。また、赤い鳥居の先には、安政の時代に建立された石造の「稲蒼魂(うかのみたま)神社」の鳥居もありました。

「稲蒼魂(うかのみたま)神社」の石造の鳥居

さらに境内の中へ進んでみると富士山縁のあるものが。

境内には富士山の神霊が祀られているという「浅間大神」があり、富士山の形がかたどられていました。こちらは30cmくらいの大きさの石で、石の前にはいくらかのお賽銭が置かれていました。そのほかにも境内では力石らしきものを発見。力石の表面をよく見ると三千五百貫目(13125kg)と彫ってありました。持ち上げてはいませんが、おそらく20㎏くらいかと思われます。一体どんな意味があるのでしょうか。

富士山をかたどった「浅間大神」

隣には歴史を感じさせる「地蔵堂」

「稲蒼魂(うかのみたま)神社」の北側には「地蔵堂」がありました。その中にある「馬頭観音立像」には文字が刻まれていて、宝暦13年(1763年)と確認できます。
さらに写真の隅に見えている、隣の正福寺墓地内は鍵がかかっていて入れませんが、多数の古い石仏がフェンス越しに見ることもできました。

地蔵堂
馬頭観音立像(拡大図)

今回は「岩槻南部新岩西地区」を歩いてみましたが、やはり何か目的を持って街を散策してみると、普段は気付かない新しい発見を見つけることができて、いつにも増して充実感を感じることができました。
次回は「浦和東部第二地区」を散策し、街に残る歴史をお伝えしたいと思います。

宮崎道雄
宮崎道雄
私が紹介しました!
普段は川口市の家具工房で再生修理をしています。そして、年に数回は子どもたちとものづくりをすることも。現在は東川口に住んでいるので、外から見た美園を発信していきます。
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